自分は承認欲求が強いと思う、と神様に聞いたときの対話
暑いです。
涼しくなったから夏も終わりだと思ったけれどとんでもないですね。
ホント、海に飛び込みたいです。
私は承認欲求が強いと思う、とランギヌイ神様に聞いたところ、とても長い対話になりました。
(注:ーの部分は私の、「」の部分はランギヌイ神様の発言です。)
ー私自身、承認欲求が強いと思うのですが。
「まず、自分を認めなさい」
ーどうやって?
「自分のことは好きで、愛おしく思っているはずなのにないことになっている」
ここで、自分のことが大好きだという感情が襲ってきて涙が出てくる。
これは体感でわかったことです。
「何もいらないよね」
ーそれは感じます。
「ただただ、自分のことが大好きなあなたがいるだけ」
ー実際問題、簡単ではないです。いろいろなことが起こるし、巻き込まれることもあります。
「自分のことが好きでいると、そういうことも簡単に乗り越えられるようになるはず。自分のことを否定したら、自分で自分を鞭打つ姿がみえたでしょう。そういうこと。
ー具体的にどのようなことをしたら自分を好きになれますか。
「自分をよく見つめること」
ー自分をよく見つめるとは?
「ハラに集中すると見つめやすいから、まず、それから。いろいろと見えてくるはず。みんな自分を見つめているようで見つめていない。きちんと、見つめています!という人たちももう一度、よーーーく見つめてみて。見つめた気になっているだけが多いから。その気になっちゃっているのがいちばんたちが悪い。自分を見つめると嫌なことより案外とよいことの方が見えてきたりする。何で嫌なことばかりが見えるかもしれないから見るのが怖い、と思うのかわからない。先入観はダメ。じゃあ、今、自分を見つめてみようか」
ー小さい頃に寂しくて泣いている自分が見えます。あとは、それなりに楽しくしている自分自身も見えます。宇宙が見えます。宇宙しか見えないのですが。
「無になってごらん。無が見えるでしょ」
―わかりません。
「無は無。そこにあるし、そこにない」
ーますますわかりません。
「わからなくてもいいけど、無は感じたでしょ。いいよ、それで」
ー承認欲求が強いと思うところからかなりかけ離れましたが。
「そんなことはない。すべてはひとつ。
ー何だか疲れてきました。
「無理もない。頭を使いすぎ。もう一度、ハラに集中して自分を見つめて」
ー笑い転げている自分が見える。何の心配もない状態。
「それでいいと思わないですか。駄目だと思ったら駄目なんだよ。もう一度、自分を見て」
ー何かを真剣に考えている自分がいる。怖くてこれ以上見たくないという思いがあります。
「見てごらん」
ー真剣に何かを考えた後で、何かとてもいい考えが浮かんだ。とても幸せそう。そして、また考え始めた。何か起こったら、それについて対処していくということの繰り返しのような気がするのですが、何かすっきり、しっくりこない感じです。
「よーーーく見てごらん」
ー何かうまく行かなくて泣いている自分が見えます。でも、泣いてばかりでは駄目だと思っていて、自分の足できちんと立って歩いて行こうと思っているし、それを始めようとしている。最初の一歩が怖いみたいです。でも、最初の一歩を踏み出したら軽くなり、幸せな感じだし、周りも明るく軽くなった感じです。すべてのものに祝福されているよう。
「じゃあ、一歩進んでみようか。すべての一歩が最初の一歩と同じなんだよ。ゴールは、案外振り出しに戻るだったりして」
ーえーーーーーっ?!ですよ!
「誰にもわからないし、わからなくていい。わからなくていいというよりは知らなくていいよ」
ー振り出しに戻るかもと言われ、すっかり気が抜けてしまいました。
「またまたそんなこと。そんなことは何でもないこと。毎日の生活を楽しんでいきましょう。子供たちをかわいがってあげて。実際、子供たちはかわいいでしょう」
ー確かに、我が子はかわいいです。私に何かメッセージはありますか。
「そのままで。変わらないでいてください」
ーまた、いろいろと考えさせられるメッセージですが、今は、これを素直に受け取ります。ありがとうございます。
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