足元を見てみた
晴れのオークランドです。
日差しが肌に刺すように強く痛いです。
以前のブログ、「私と母との関係2」でランギヌイ神様に足元を見るといいと言われたので試してみました。
まず最初に感じたこと、それは、私自身なんだな~と。
とてもしみじみと感じました。
とても不思議な感覚で、自分のことがとても好きで愛おしいというのでしょうか、何となくこそばゆい感じでした。
私自身、どこかで本当は何も要らないとわかっているような、いないような。
そして、もっと楽しみたいということも感じました。
具体的に何を楽しみたいのかはわからなかったのですが、人生そのものを楽しみたい、なのかもしれませんね。
足元を見ているとリラックスした感じになります。
立ってままで足元を見てぐっと足に力を入れると、自分は頑張っている、そして、もっと頑張って行こうと感じられます。
でも、その頑張ろうには無理な力は入っていなくて、心地よい頑張ろうとでも言いましょうか。
ここで、ランギヌイ神様にお聞きしてみました。
私の部分は私の、ラの部分はランギヌイ神様の発言です。
私「足元を見つめることも含めて、体に意識を向けると『自分』を改めて認識できます。
こそばゆい感じもありますが、これこそが自分自身なんだと思えるというか。
それと同時に、まだまだ幼いという感覚も入ってきます」
ラ「それでいい。
だって、あなたはあなたでしょう。
他の誰でもない。
自分自身でいることに誇りを持ちましょう。
幼いというのは、私からみたらみなさんかわいい子と思えるからではないでしょうか。
だからといって、本当に幼いということではないので。
それと、一所懸命に精進しようと思っているからこそ、幼いという感覚になるのでは。
伸び代があるというのでしょうか。
可能性は無限ですから」
私「後、足元を見つめて視線を上に動かし、ひざや腕を見たときに涙がでました。
何でしょう、自分でいいんだというか、自分でいられて嬉しいというか、これまた不思議な感覚です」
ラ「これこそ、あなたはあなたでいいということですよ」
私「わかるようなわからないような」
ラ「少しはわかるでしょう。
感覚として入ってきているでしょう。
それで十分です。
その感覚をぺらぺらと言葉で羅列できる方がどうだろうと思いますよ」
私「今、課題がたくさんありすぎるような気がして、実際あるのですが、ちょっと気ばかりが焦ってしまってどうもよくないような気がします。
それで、頻繁に焦るなとメッセージを送ってくださっているのでしょうか」
ラ「そうですね、あなたへのメッセージでもあるし、他のみなさんへのメッセージでもあります。
みんな急ぎ過ぎ、空回りしすぎ、焦り過ぎです。
焦ってどうする?
だから足元を見てくださいと言っているのです」
私「なるほど。
確かに足元を見ているときは、妙に冷静なんですよね」
ラ「そう、頭を冷やしましょう」
私「ありがとうございます」
ら「いつでも」
みなさんはどういうふうに感じるのか、足元を見つめることをぜひ試してみてください。
そして、感じたことを書いておきましょう!
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